突然ですが、質問です。
あなたのスマホに、「いつか使う韓国語フレーズ」は何個保存されていますか。
スクショ、メモアプリ、ブックマーク、YouTubeの「後で見る」。……数えたくない人は、たぶん私の同類です。
私は5年かけて、韓国語の知識を集め続けてきました。本9冊、定番YouTubeチャンネル網羅、アプリも毎日。1本目の記事で「インプットしかしていなかった」と書きましたが、今日はその病状をもう一段解剖します。私は単なるインプット過多ではなく、「知識コレクター」でした。集めること自体が、目的になっていたんです。
コレクターの一日
当時の(いや、油断すると今もですが)私の学習は、こんな感じでした。
通勤中、YouTubeで韓国語講座を聞き流す。「あ、このフレーズいいな」と思う。移動中だからメモは取れない。「あとでいいや」。そして忘れる。
たまにメモが取れるときは、取る。取ると、安心する。そして、そのメモを二度と開かない。
新しい参考書を見つける。「これは良さそう」と買う。買った瞬間が、いちばん韓国語が上達した気がする。
……心当たり、ありませんか。
罠の正体「保存」した瞬間に、脳は満足する
自分を責める話にしたいわけではありません。これ、人間の仕組みとして、かなり合理的に説明がつくんです。
行動心理学でよく言われることですが、人間の脳は「報酬」でループを回します。そして厄介なことに、「良い情報を手に入れた(保存した)」という瞬間に、報酬は発生してしまう。使っていなくても、です。
積読と同じ構造です。本は、買った瞬間がいちばん気持ちいい。フレーズは、メモした瞬間がいちばん「勉強した感」がある。つまりコレクションという行為は、それ単体で快感が完結している。使うところまで行かなくても、脳的には「今日もやった」ことになってしまうんです。
しかも語学は、この罠と相性が最悪です。知識は無限にあります。フレーズも単語も文法も、集めても集めても終わらない。終わらないから、いつまでも「集める快感」を補給し続けられる。5年、補給し続けられてしまった人間が、ここにいます。
コレクションと在庫は、違った
では、集めた5年分の知識はどうなったか。
正直に言うと、大半は「あることは知っているが、出てこない」状態です。倉庫に入っているのに、どの棚にあるかわからない在庫。いざ韓国で話しかけられた瞬間に取り出せないなら、実戦的には、持っていないのと同じでした。
一方で、2本目の記事で書いた「先手札」10枚——「日本人です」「ゆっくり話してください」のような、声に出して仕込んだフレーズ——は、出てきます。
差は明白で、コレクションしたか、装備したかです。集めた1000フレーズより、口に覚えさせた10フレーズ。数で言えば100分の1なのに、実戦での価値は逆転します。
コレクター体質の私が、決めたルール
コレクター体質は、たぶん治りません(性格なので)。なので私は、治すのではなく、ルールで挟むことにしました。正直に言うと、以下は昔からの習慣ではありません。この記事を書きながら、自分の病状に嫌気がさして決めた新ルールです。運用がうまくいったかどうかは、後日この記事に追記で報告します。
やめること:新しい教材を増やすこと。 本はもう買いません。9冊あります。チャンネル登録も増やしません。「集める」の入り口を、物理的に狭くします。
始めること:「保存したら、3回声に出す」。 メモやスクショ自体は禁止しません(どうせやるので)。その代わり、保存した瞬間に、その場で3回だけ音読する。たった3回でも、「目で保存」と「口で保存」では、残り方が違うはず——というのは、食堂で使ったフレーズだけが5年残っている(1本目)という自分の実測に基づく見込みです。保存という快感に、使用を1滴混ぜる作戦。
そして、増やすより減らす。 「いつか使うフレーズ1000」ではなく、「次の韓国で必ず使う10」に絞る。コレクターにとって「絞る」は苦行ですが、絞った10枚が実戦で口から出たときの手応えは、食堂の一言で経験済みです。保存の快感とは、比べものになりませんでした。
まとめ:集めた5年は、無駄ではない。ただし
最後に、コレクター仲間へのフォローを。
集めた知識は、無駄ではありません。私の倉庫の在庫たちも、聞き取りの手がかりになったり、ドラマの「あ、今のわかった」を生んだりしています(4本目の記事に書いた通りです)。倉庫が大きいこと自体は、財産です。
ただ、倉庫を増築し続けても、話せるようにはならない。それだけは、5年かけて確認済みです。
もし今日も「いいフレーズ見つけた」と保存しかけたら、思い出してください。保存ボタンの前に、3回、声に出す。コレクションが装備に変わるのは、その3回の中でです。
私も今日から、やります。


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